自分の成長に限界を感じ始めたので、社会人大学院に行こうと思うという決意

最近、自分に限界を感じるようになってきたので自分の考えたことのメモとしていろいろ書く。(人に読ませたい文章ではないです。)

そもそもなんでこんなこと考え始めたか

先週末、TEDxUTsukuba - LIKE AND SEEKを見に行ってきた。
www.tedxutsukuba.com

最近ストリーマーのはつめさん(@hatsumememe)の配信を最近よく見ているのだが、そのはつめさんがなぜか母校つくばの団体がやってるTEDxUTsukubaに登壇するというアツいイベントだった。

TEDxだから〜とか、LIKE AND SEEKっていいテーマだなあとか思って参加したわけではなく、参加してからLIKE AND SEEKというテーマだということを知ったレベルの完全はつめさん目的の参加だった。

そこで、「好き」をテーマにした講演の数々を聞くうちに、私は今、薄っぺらい「好き」をもとに駆動していて、「大好き」なことがないということから現在の成長の限界に直面していることに気付かされ、それについて考えることを余儀なくされた。

経緯はこんな感じで、ここからは成長の限界について考えたこと、どうするかについて書く。

これまでの成長方法1. 資格駆動による体系的知識の獲得

高専の一年生として情報工学の門を叩いた時から、主となる知識の獲得方法は資格試験の受験だった。
情報分野においては、高専一年時にITパスポート、二年次に基本情報と応用情報、三年時にネットワークスペシャリストと現在の情報処理安全確保支援士試験の前身にあたる情報セキュリティスペシャリストに受験し、合格していた。

この知識の獲得方法は現在も続けていて、最近では会計分野の知識獲得のために日商簿記2級やFP2級、法律分野のために行政書士、情報分野ではAWSの認定クラウドラクティショナーやソリューションアーキテクトのアソシエント試験、IPAのエンベデッドシステムスペシャリスト試験などを受験している。

個人の実感として、高専時代に受験した応用情報の知識は現在においても実務の上で、応用的技術を理解する基盤となる知識になっていると思うし、資格駆動による知識取得は入門レベルの知識の体系的獲得には非常に効果的だと感じている。

しかし、資格試験から応用的知識や経験的知見、実際の手の動かし方は得られない。体感として上記の今まで受験してきた資格試験のほとんどが入門から初級的内容の知識までしか得られていないと思っている。
応用情報や情報処理安全確保支援士はエンジニアとしての最低限の知識であるように思えるし、AWSの試験も一日や数日といったとても短時間で合格していることからも要求される理解や知識の量として大したことはないように思える。日商簿記やFPについても本が数冊で収まるような内容だ。

そこで更なるレベルでの技能獲得のために、技術書や記事を読み、業務や様々な大会に出場したり、大会の問題を解くことで技術の向上に努めてきた。

これまでの成長方法2. 技術書や記事からの実践技能獲得

プログラミングは技術知識を応用した問題解決の側面が大きいと思っている。そして、上記に挙げた資格試験が問うのはあくまで最低限の知識のようだし、応用能力を問うような試験は殆どない。

いくら英語の単語帳や文法の本を読んだところで、実際に話したり書いたりしなければ英語を使えるようになるのは難しいし、いくら青チャートを解いたところでミレニアム懸賞問題を解決するのは難しい。
知識は応用しないと死んだ知識だし、技能を習得し、能力を向上していくためには実践が必要だ。

そこで高専時代から、競技プログラミングの大会に出場したり、オンラインコンテストに参加することで数理的知識や能力、プログラミング技術(もっとも、競プロで問われるプログラミングの能力はとても狭い範囲の特化したものだと思うが)の向上につとめたり、様々なアプリコンテストやハッカソンに参加してアプリケーションの作成する能力の向上を目指したり、あるいはCTFなどにも参加した。
職業エンジニアになった現在においては殆ど大会には参加しなくなったが、業務での開発や設計が技術向上につながっているし、あるいは下手の横好きのような雰囲気でやっている脆弱性報告はCVEを2件もらったり
していて、セキュリティの能力として多少は向上しているように思えている。

現れてきた問題

ただ、最近、自分のステータスにキャップがされているように思える。
コンフォートゾーンから抜け出し切れていないようだ。

高専生当時としては前述の成長方法はコンフォートゾーンから抜けていたはずだが、現在となっては資格を受けたところでなかなかコンフォートゾーンから抜けられない。
行政書士だって自分にとってはかなりのチャレンジだったはずだが、大した困難はなかった。

業務では様々なプロジェクトに参画して経験を積んでいるように思えるが、適当で場当たり的な安易な解決策に頼ったりする思考の癖は抜けないし、発展的で新規性のある内容においては自分の脳で考えずリードやカンファレンスなどでの事例など、他の人々の発想にすぐ頼ってしまう。脳が怠けていて、脳みそを絞るように考え尽くすようなことができていない。

これは高専生活の結果にも現れている。

高難易度の問題にかじりついて数日考えることをしなかったので、パソコン甲子園ICPCは本選に出られても入賞できなかった。
毎日CTFの問題に打ち込み、バイナリを読み解くことから逃げたので、高専生に限定した高専セキュリティコンテストでは入賞できても、高難易度CTFの大会で入賞したことはないし、できる未来も見えない。
ハイレベルな英文を読んだりせず、鉄壁から逃げ、脳みそを絞って考えないといけない英作文から逃げたり、簡単なマセマや問題集に逃げたので、筑波大や電通大編入には合格できても、東大には落ちた。 

ひたすら打ち込んで深く考え、数日、数週間、数か月耐えることができていない。
こんなことを書きつつ、この文章を深く推敲して良い文章にすることもしてないし、人に読んでもらえる文章に構成することもしていない。

このままでは、高度な能力と思考方法を持ち、これまでになかった発展的な解決策を考えられるような一段階上のエンジニアには現状なれるようには思えない。

というわけでどうするか。

このできていない活動に共通するのはなんだろうと考えた結果、多くの面で「研究」に含まれることのように思える。

論文執筆や発表は推敲の連続だ。
研究はひたすら一つの事柄について深く考える。
場当たり的で安易な解決策では新奇性があり、論文になるような結果はでないので、高度で緻密な解決策が求められる。

この思考の癖を矯正し、最強になるために論文付きの社会人大学院に行くことにしようかと思う。
というわけで、まずは研究テーマを考えます...。

  1. もしこれを読んだ人の中で、こういう突き詰めて考えることができないという問題を解決された方がいたら、その解決方法を教えていただきたいです。